酒の肴 No.4
2000/03/21

「重陽の節句の話」

1998/09/09 地酒MLに投稿

草の戸に日暮れてくれし菊の酒

重陽の節句に詠んだ芭蕉の句です。
そう、菊の酒の季節....

由来はもちろん、中国。
春節(お正月)・端午節(端午の節句)・中秋節(十五夜)・冬至・・・
こうした年中行事は、春夏秋冬の四季に均等に分散し、特に農業社会では、人々は年中行事を一年の節目の目安としていました。これら、中国の伝統的な行事はいずれも、「幸福祈願」「厄除け」等を目的としており、かつ、季節の境目の「休息」の役割も果たしているといいます。
年中行事は、生活を調整する役目を果たし、農業社会において農民の休日となっていたそうな。
実際、伝統的な年中行事は耕作と収穫の時期に合わせて行われていました。
「春節(正月)」: 冬の耕作のできない時
「元宵節」:お正月休みがちょうど終わった時
「清明節」:春の耕作と夏の耕作との間
「端午節(端午の節句)」:一度目の収穫を終えた後
「中元節」:暑くて耕作ができない時
「中秋節句(十五夜)」:一年最後の収穫のころ
「重陽節(重陽の節句)」:冬を迎える準備をしている時
「冬至」:陽気がよくなってきて冬の寒さが去った時
と、太陰暦なのでずれがありますが、こんな感じでしょう。

日本に渡って...
奈良時代に「節日」は定められており、正月一日(元旦)、七日(白馬(あおうま))、十六日(踏歌(とうか))、三月三日(上巳(じょうし)・曲水)、 五月五日(端午)、七月七日(七夕・相撲)、十一月(大嘗(おおんべ))を「節日」としていました (養老雑令)。
天皇が出御して宴会を行ったので、「節会(せちえ)」と呼ばれました。ところが、このときは、九月九日(重陽) が外されていて、これは、天武天皇の忌日にあたるからと言われています。
平安時代になると、 平城(へいぜい)天皇の御代に九月九日の宴が催されるようになり、「御節会」が定められました。 それは、「元旦」「白馬」「踏歌」「端午」「豊明(とよのあかり)」(新嘗会の翌日)の五つの節会でありました。
江戸幕府は「五節供」を制定し、それ正月七日の「人日(じんじつ)」、三月三日の「上巳」、五月五日の「端午」、 七月七日の「七夕」、九月九日の「重陽」であありました。なお、元旦を含まないのは別格ということ。
いわゆる五節供は、人日は七草の節供、上巳は桃の節供、端午は菖蒲の節供、重陽は菊の節供などと呼ばれ、季節の植物と深くかかわるのが特徴になりました。
重陽とは、陽数である9という数字が重なるからで「重九の節」とも呼ばれ、おめでたい日とされたそうです(逆「五行陰陽説」では忌み嫌う日であり、それをお祓いするための行事があるとされています。どっちかいな)。
さて、
中国ではこの日、菊の芳香で邪気を払い寿命が延びるようにと願って、菊酒(菊をひたした酒)をくみかわしたり、丘や山に登り、邪気を払うとされている茱萸(しゅゆ)の実を採る「登高(とこう)」という行事がありました。中国には、菊花酒を飲んだ慈童という少年が山奥で800歳以上も行き続けたという伝説があるそうです。
平安時代に伝来したときには、宮廷の儀式「菊花の宴(重陽の宴)」となりましたが、上記のように、江戸時代になると、幕府がこの節句を武家の祝日として重要視したことから、公的な性質を備えたものになったそうです。
明治以降は次第に忘れ去られてしまい、地方によっては御九日(おくにち)(九月九目のこと)と呼ばれて、収穫を感謝する秋祭りが行われています。 そうなると、思いつくのは、“おくんち”。
“長崎くんち”(長崎、10/7-9)、“唐津くんち”(佐賀、11/2-4)があります(旧暦の9/9は今年は10/28)。
で、江戸時代から、この日には不老長寿を願って菊の花を浮かべた菊酒が飲まれ、菊の花に綿を着せてこの綿で肌をなでたりする、っていうことらしいです。
菊は、皇室の御紋章にもなっていますが、元々は中国から薬用として輸入されたものだそうで、花そのものを味わうようになったのは、室町時代と言われています。食用の菊は、花の色で大きく黄菊と紫菊に分けられます。
黄菊では、青森県八戸産の「阿房宮(あぼうきゅう)」が有名で、菊が延命長寿に効き目があるというので、奏の始皇帝の宮殿の名にあやかったようです。紫菊では、山形県産の「延命楽(えんめいらく)」が有名だそうです。

聞くところによると、菊を入れた米焼酎があるそうで...
今日は、燗酒に「延命楽」を1花落として、飲もうかしら...
村松淳司